小沢一郎は敗北したのか

小沢一郎が敗北した。
しかし小沢は菅に負けたのだろうか。見識においても政治力に置いても菅の方が見劣りがするのは衆目の一致するところである。それでも菅が勝ったところに今の日本の政治をとりまく諸問題が集約されている。

小沢は負けたが、小沢が出馬した意義は大きかった。彼が出馬したことで旧体制(1945年体制)の姿がいっそうあぶりだされたからである。公平中立をかなぐり捨てて選挙中の小沢に襲いかかった新聞・テレビの姿はジャーナリズムが機能不全に陥っていることを改めて浮き彫りにしたし、乱発される「世論調査」の必要性や信頼性も低下した。また選挙の最中に鈴木宗男の上告棄却がなされたことも検察による菅陣営への選挙応援疑惑を生み、村木裁判の無罪判決もあって検察への不信は抜きがたいまでになった。

それもこれも小沢という政治家が旧体制を脅かすだけの強敵だったからである。小沢の出馬にパニックになったマスコミと検察は正体をとりつくろう余裕もないまま、なりふりかまわぬ小沢攻撃へと暴走するほかなかった。その結果、彼らの正体がいっそう鮮明にあぶりだされることになったのである。

小沢は敗北した。しかし相手は菅ではなく、「オール旧体制グループ」、とりわけマスコミと検察であったと言えるだろう。敗北したとはいえ、彼らの真の姿をあぶりだした小沢出馬の意義はいくら強調してもしすぎることはない。


代表選後のマスコミの論評で最も容認できないのが「二人の間に大きな政策の違いはなかった」というものだ。また「(政策の違いがないのに)代表選を実施したことで政治空白を生んだ」とする批判はとんでもない暴論である。
代表選は選挙の時期が巡ってきただけであり、代表選をするなというのは談合を勧めるのに等しい。そもそも菅首相が小沢外しの包囲網を敷いたことと、参院選の大敗の責任をいっさいとらなかったことが民主党内に対立を生んだ最大の原因である。代表選に出馬した小沢が党内に亀裂を生み政治の停滞を招いたかのように批判する論調は「小沢憎し」に凝り固まったマスコミの悪意に満ちた報道である。

「日本の洗濯」が進行中なのである。そうした認識があれば「3ヶ月で首相をかえるな」などというのは砂糖菓子のように甘い考えだ。旧体制の汚れを落とす日本の洗濯が行われている以上、「産みの苦しみ」は覚悟しなければならないだろう。
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# by tsuigei | 2010-09-15 00:00 | 小沢一郎