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ママチャリ論争

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歩行者にも自転車にも危険な歩道上のブルーゾーン(自転車レーン)

倉敷に行った時、アーケード商店街の中を自転車が我が物顔で走っているのを見て驚いたことがある。自転車のアーケード内通行が禁止されている東京ではまず見かけることのない光景だった。
「エッ?こんな場所を自転車が!」というその時の驚きは、日本にやって来た外国人が、歩道を走っている自転車を見た時に感じる驚きとたぶん同じようなものだと思う。自転車が歩道を走る国は世界でもまれで、先進国では日本だけだからだ。

自転車は軽車両だから車道を通行するのが世界の大原則である。だが日本では、「自転車はどこを走るべきか」という論争がこれまで何度もくり返されてきた。日本でも昔は自転車は車道の左端を走っていたのだが、本格的なモータリゼーションを迎えた1970年代に車道での自転車事故が急増したのをうけて道交法が改正され、自転車の歩道(自転車歩行者道)通行が可能になった。それ以来日本は自転車が車道と歩道のどちらも走ることができることになり、同時に先進国中ダントツに自転車事故が多い国になった。
もともと自転車の歩道通行は例外措置であり道路のインフラが整備されしだい自転車は元の車道に戻されるはずだった。だが30年たった今も、歩道は幼児を乗せたママチャリや学校帰りの中学生たちが我が物顔で走る自転車天国になってしまっているのはご存知のとおりである。

10年ほど前の警察庁は、自転車を車道に戻すどころか、自転車の車道通行を全面禁止して自転車を歩道に追い出すための法制化を進めていた。だが自転車愛好家たちの根強い反対もあり、紆余曲折を経て今では警察庁は国交省と合同で自転車の車道通行を強化する方向に舵を切っている。
こうした方向転換に同調したのかどうかはわからないが、平成22年3月、東京・横浜・名古屋・大阪の4地裁は自転車と歩行者の事故について 、「歩道上の事故は原則、歩行者に過失はない」とする新基準を示した。
この新基準の意味するところは、歩道上で自転車が歩行者を傷つけた場合、たとえ歩行者側にも過失があったとしても、車道での自動車事故のような「過失相殺」は適用されず、状況にかかわらず自転車側に100%の過失があるものとみなすと司法が判断したということである。

これは自転車にとっては非常に厳しい基準である。だが、子供を乗せたママチャリのお母さんも、学校帰りの中学生も、自分たちがどれだけ大きなリスクを背負って歩道を走っているかを自覚していないように見える。警察庁が政策転換し、裁判所の新基準が示されても、自転車道のインフラ整備はいまだに進んでおらず、道交法の広報の徹底も不十分な現状では、これまで30年もの間歩道を走る利便を享受してきた自転車がおとなしく危険な車道に降りることは期待できない。

ママチャリのお母さんや中学生たちは、賠償責任を伴うような重大事故を起こした時に初めて自分たちの責任の重さを知り、驚き苦悩することになるのだろう。こうした現状は自転車にとっても歩行者にとっても危険きわまりないが、行政が積極的に動いているとは言えない。だが、自転車は車道か歩道かの方針が決まった以上解決策ははっきりしている。歩道には自転車と歩行者が住み分けられるスペースの余地はない。車道の自動車走行を制限して、自転車が安全に走ることのできる自転車レーンを車道上に確保するしか方法はない。
問題の焦点は自転車ではなく自動車なのである。

by tsuigei | 2013-03-07 16:46 | COLUM

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